エロスト
続き
絵から写真へと表現手段を変えても同様で、古い友人と話すと……「ああ、中宮栄!?見てましたよ」となり、秘蔵誌から探し出してくれる程度の事である。
しかし、私は「荒川也寸志」を筆画名にしてはいなかった。
後に勃興するSM雑誌では「多貫欣」をペンネームにし、独悦の暮らしを送っていたのである。
その頃は、「馬鹿な女を仕置きする」という意識から、好きな女性を理想的な生涯伴侶にするための調教」の一手段を画材化しようとしていたのである。
著者不詳と言われたフランス文学の「O嬢の物語」を、抄訳、全訳こもごもに読んでからは『O』と呼ばれる虚構人物に憧れてしまっており、恋人の未来に”性的亨楽に反抗しない女”を夢想した結果であった。
その後、他社にも寄稿する様になって「あちらの会社とは違った画風で……」と乞われる様になってから、その編集者によって命名されてしまったのが、高名な音楽家をもじった「荒川也寸志」の誕生なのである。
私は画家を志してはいなかったので、素人画人の遠慮もあり、イラストレーターと名乗るのは気恥ずかしく、「性愛(エロス)ものを描く」者づもりで”エロスト”と、自分の絵を総称していた。
そして、画材的主題は欧米肉食人種たちの嗜虐を採り上げつつ、日本国内のSMマニアの陰湿さから避けていようとしたのである。
それと言うのも、自分で流行のSMアンチの立場を取る、個人誌的雑誌を刊行発売する別生活があって、昭和中期からの、”変態性欲風な夫婦生活者”との交歓を維持している必要があったからである。
いわゆる”家庭内SM実践者”である男女には、私の知る限り
のSM行為を咀嚼したようにして「サジストとかマゾヒストなどの表現を口にするな。能動と受身の区分で思慮ある性愛行為を享楽せよ」との異喜の説法をしつづけているのである。
私の絵は”エロスト”であり、性器結合の描写を中心とした春画(ポルノ)的描出ではない。
ねちねちとした「縄に始まり縄に終わる」と言った日本的緊縛戯のSMは、エネルギーの浪費でしかないとの思考でいる。
したいと思うことを即決決断し、うとましくもなる性欲晴らしをして、明日の活性をはぐくみ、異性存在に感謝する共存の歓びにしなさいと、メッセージをおくる年長者判断を告げるつもりでおそらく今後もヘボ画エロストを手掛けるだろうと思う。
終わり。
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